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亀徳港

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日曜日に、徳之島へ「薩摩侵攻400記念事業の講演&シンポ」に、日帰りで行って来ました。朝早かったので、髪の乱れを気にしつつ、船に乗り込むと、笠利津代の三七の会のメンバー3名といっしょとなり、…。
 亀徳港につくや、頼んでいたレンタカーに乗り込み、いざ、撮影地へ。なにをかというと、薩摩藩が徳之島へ侵攻した際に、この港(明治20年までは、秋徳といっていたとあとで弓削政巳さんが教えてくれました)で、住民と闘ったということなので、この港の全体像を撮りたかったのです。ちなみに、この戦いで、住民たちは熱い粥で薩摩軍に応戦(粥は、悪魔を祓うなどの呪術的な意味があったとのこと)したのですが、鉄砲を駆使していた薩摩軍は当時最強の軍団で、住民など300名の犠牲者が出て、戦いは終焉となったのでした。この犠牲者を祀ってあるのが、秋徳神社だそうです。
 徳之島自動車学校から撮影できるかと思い、のぼったのですが、カメラが悪いのか、撮影者が下手なのか、いいアングルがとれない。そこであっちこっち廻っていると、ありました、このアングル。ここは、亀徳の市街地のすぐ上にあるのですが、畑のなか。誰もいない感じだったので、失礼して、先端までいってびっくり、「大東亜戦争の監視壕跡」があったのです。まあ、そういった場所なのですね。ここからは、船が来るのもよく見渡せます。
 2時から始まった講演会。この席に島津家の子孫で、32代当主である島津修久(のぶひさ)氏が招かれていたのには、ちょっとびっくり。「薩摩の再上陸」などと船のなかで、誰かがいっていたのを、思い出しました。でも、現代はそれをいうべき時代ではないですよね。「招いて頂いて感謝している」と述べられたのは、歴史的にみれば重い言葉でした。
 基調講演は弓削政己氏。1609年の薩摩の奄美侵攻は、もともと薩摩は琉球が目的で、奄美はその過程だったのだとわかりました。まあ、奄美は簡単にやっつけられてしまう訳です。先に、奄美津代で戦い、そのまま、奄美を点々として、ここに辿り着くのですが、総勢3000名の薩摩軍とは、所詮、戦いにすらならなかったのではないでしょうか?こうして、奄美は薩摩藩の直轄地となり、その後、サトウキビ栽培に従事させられます。このサトウキビから作られる黒糖は、大阪で何倍もの価値となり、当時莫大な借金をかかえていた薩摩藩を救い、ひいては明治維新にも土台を作ったのです。奄美がキビ栽培で忙しくなったとき、琉球からは米を運んだとの事。奄美はまさに砂糖島だったのでしょうか?
 でも、この苦しい時代、徳之島では人口が増えているという事実があるそうで、どうして増えたのか、これからの問題でしょうが、民衆はこうしたなかでも、たくましかったのではないかと弓削さんはおっしゃっていました。弓削さんは、昔からこうした観点で奄美のこの時代を見ていましたよね。苦しんでいただけではなく、もっとしたたかだっだのではという観点から、歴史を見直したいというのが、研究の発端だったと、以前伺った事を思い出しました。
 琉球は中国から冊封使がくるなど、交易が盛んで、薩摩藩はこれをモノにしたかったのですね。奄美は直轄地、でも琉球はそれを中国側に悟られないように間接支配だという点が大きな違いでしょうね。
ところが、琉球侵攻の資料はほとんど沖縄には残されていないということを聞いて、またびっくり。そういうものなのですね。高良倉吉琉球大学教授は、「現代でも鹿児島と沖縄は、隣県だというのに交流が少ない。知事同士が訪問しあうということをほとんど聞かない。これからは、この薩摩侵攻を超えて、もっと交流していくべきだ」というようなことをおっしゃったのがとても印象的でした。会場からも拍手が起こったのは、この時だけだったような気もします。こうしたメッセージを沖縄からいえるというのがすごいなあと思います。薩摩の再上陸などと気色ばむのとは大違い。私も高良先生の言葉に賛同します。
 日帰りの旅でしたので、刻々と迫る船の出航時間を気にしつつ、かなり最後のあたりまで粘ってきいていましたが、最初の30分間、議員やら町長やらの挨拶の時間がもっと短縮していてくれたらと思った次第です。でも、この会をもったことには敬意を表しますね。
 こうしたシンポを奄美で何故できないのかが、ふと残念に思いました。恨みつらみだけで歴史は語れません。冷静にみつめ、これからのことを見つめていくということが、今回のシンポの目的だと司会者の先生が述べていらっしゃいましたが、奄美ではこの点がまだ克服できていないのかもしれません。奄美でこうした戦いがあったという看板すら立っていないというのも寂しいですね。亀徳には、ちゃんと立っていますから。
 ともあれ、沖縄と奄美、鹿児島が今後、もっと交流しなくてはならないと、あらためて感じた一日でした。途中で寄った「ほうらい館」に関してはまた後日。ここはここで、またまた発見がありました〜。
 
by amami-horizon | 2009-05-04 11:30

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